三菱新入炭坑の残影 ―高倉山高蔵寺の地蔵菩薩像―

  〔1〕
 向野堅一の一族の住む現在の直方(のおがた)市上新入(かみしんにゅう)は、明治の早い段階から炭坑として着目され、利権をめぐって、争われた地域である。近代化が最も早く押し寄せた地域と言って良いのではないだろうか。向野堅一は、そうした社会の激変と矛盾とを間近に見ながら成長した。最終的に新入炭坑を手中に収めたのは三菱で、炭坑は拡大を続けていく。そのことは一面で、この地域に繁栄をもたらし、一面で激しい変化と社会矛盾とをもたらした。
 そうした近代の一面が向野堅一にどのような影響を与えたのか。実は、三菱新入炭坑と向野との関わりを知りたいと思い、三菱新入炭坑の足跡を上新入に尋ねた。しかしほとんどわからなかった。素人同然で、みるべきポイントを外しているというだけでなく、三菱は可能な限り足跡を消し去って立ち去ったようである。


  〔2〕
 高倉山高蔵寺は、直方(のおがた)市上新入(かみしんにゅう)の外れ、鴨生田池(かもうだいけ)の池畔を見下ろす高台にある。筑前国三十三観音霊場第24番札所で、馬頭観音を祀(まつ)る真言宗の古刹である。今日では無住となり、御堂と雑然とした廃墟や石仏が残っている。
 この寺は、向野堅一の生家とも姻戚関係にあり、向野堅一を取り巻く故郷の状況を考える上で示唆に富む点がある。ただそのことは、きちんと整理して論じなければならないと考えている。またこの寺の廃墟となっている遺構もきちんと整理するべきものと考えているが、すぐにできることでもない。しかし興味深い遺構が多い。


  〔3〕
 ここでは、境内にある地蔵菩薩像を紹介したい。〔写真①〕一見しっかりしたものに見えるが、砂岩系の柔らかい石で、特に基壇はかなり傷んでいる。何時倒れてもおかしくないとみる。〔写真②〕裏に回ると「新入村三菱炭坑」とあり、「発起人」の名が刻まれているが、残念ながら剥離していて、人名は、はっきりしない。〔写真③〕側面には「二十四世」とあり、当寺の二十四世住職〔おそらく、観了師:堅一の姉の夫〕を指すであろう。残念ながら、どのような理由で建立されたものであるかは、いまのところ不明である。ただ、漸くにして三菱新入炭坑の残影にたどり着いたことを報告しておきたい。(2021.2.24.向野正弘)

 

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〔写真①〕

 

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〔写真②〕



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〔写真③〕

 

 




 

 

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